これまでのあゆみ

演奏会詳細

第12回定期演奏会

日時 2008年9月27日(土) 18:00開演
会場 三鷹市芸術文化センター 風のホール
曲目 フォーレ/パヴァーヌ(管弦楽版)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲≪プルチネルラ≫(1949)
モーツァルト/交響曲第40番 ト短調 K.550
アンコール: シューベルト/劇付随音楽≪ロザムンデ≫より第3幕間奏曲

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  • フォーレ/パヴァーヌ(管弦楽版)(mp3:準備中)
  • ストラヴィンスキー/バレエ組曲≪プルチネルラ≫(1949)(mp3:準備中)
  • モーツァルト/交響曲第40番 ト短調 K.550(mp3:準備中)
  • シューベルト/劇付随音楽≪ロザムンデ≫より第3幕間奏曲(mp3:準備中)

曲目解説

フォーレ/パヴァーヌ(管弦楽版)
「夢のあとに」「エレジー」「シシリエンヌ」「レクイエム」…フォーレの名曲はいずれも物憂いマイナーコードが特徴的で、フランスの作曲家の中でも独特のエスプリを放っています。
「パヴァーヌ」はその最たるもので、冒頭フルートによって奏される忘れがたいメロディが様々な楽器に歌い継がれるとともに、伴奏の和声が絶妙に気だるい美しさを湛え音楽を運びます。
ところで、パヴァーヌは混声合唱付きが有名ですが、それは楽譜の初版が合唱付きだったためです。原曲は今回演奏する管弦楽版であり、現在では双方とも好んで演奏されます。
なぜ初版が合唱付きだったかというと、いささかゴシップな事情に言及せねばなりません。1886年に管弦楽版を完成させた後、パトロンの伯爵夫人より「いとこが書いた詩で合唱を付す」ことを提案されます。フォーレはこれを(表面上は)大歓迎し、日曜詩人が書いた当たり障りのない詩をメロディに乗せ1888年に件の初版に至ります。すなわち、世渡り上手なフォーレは貴族階級のサロンと親密な関係を築きたいと願っており、パトロンの面目を保ちつつサロンの心を掴んで首尾よくこの小品の出版(名声と収入の獲得)にこぎつけたのでした。
さて、こうした裏事情は美しい作品の鑑賞に妨げとなるでしょうか。むしろ作曲者の人間臭さや楽壇の泥臭さを知ることで、作品の気だるい魅力が際立つようにも思います。フォーレの作品に共通する物憂いエスプリは、そうした世渡りに疲れた作曲者の言葉にならない嘆きだ、と解釈するのは行き過ぎでしょうか。(チェロ・S)

ストラヴィンスキー/バレエ組曲≪プルチネルラ≫(1949)
女性にモテモテの色男プルチネルラ。好意を寄せる女性までも言い寄るのを見て、2人の男がプルチネルラを殺そうとする。命を取り止めたプルチネルラは、友人と仕返しを企む。友人がプルチネルラのふりをして現われると、死んだと思っていた2人の男はびっくり仰天。そこにさらに偽者が、さらに本物も現われて何がなにやらの大騒ぎに。しまいにはそれぞれが想い人と結ばれて大団円。
こう書くと全くもって取るに足らない≪プルチネルラ≫のストーリーですが、これは古ーいイタリア民衆劇(お決まりのキャラクターやギャグで成り立つ、吉本新喜劇のような劇)から採られたもの。音楽の素材は、パリを席巻していたロシア・バレエ団主宰のディアギレフが、図書館で見つけたイタリアン・バロックの楽譜です。大戦前は同団と≪火の鳥≫≪ペトルーシュカ≫≪春の祭典≫などで大成功を収めたストラヴィンスキーが目指したのは、ある意味真逆の旋律と調性が分かりやすく簡潔で小規模な作風。編成も、合奏協奏曲風の5人の弦ソリストと弦五部に、クラリネット打楽器なしの管楽器と、古典的シンプルさ。バロックの旋律や様式を使いつつ、天才的作曲技術を駆使して生まれたのは新しい時代の進む道を示す作品。「新古典主義」音楽を具体的にみせたものでした。
本日の組曲は、1949年に自ら抜粋して編んだもの。爽やか且つ華やかな第1曲で幕開け。不思議な響きの中オーボエとソロ・ヴァイオリンが歌う第2曲。フルートの上昇音階でそのまま第3曲へ、一転して楽しい雰囲気に。4拍子、3拍子、ゆっくりの2拍子と3つの部分に分かれています。第4曲はスピード感とスリル(?)溢れる舞曲、強烈な下降音階で途切れなく第5曲トランペットの愉快な演説へ。のどかなオーボエで始まる第6曲は管楽器のみ。コントラバスとトロンボーンが大活躍の第7曲は遊び心満載。穏やかなホルンから第8曲、熱量があがり爆発して疾走する終曲、めでたしめでたしです。
ドイツ・ロマン派とフランスにも流れたその影響を否定した「新古典主義」には、第一次大戦で対立したものが相手の音楽文化をも否定した、という側面も否めません。また、苦悩や絶望といった深刻さより愉悦や享楽を求めたこと、感情よりも明晰な理論と抽象性に戻ろうとしたこと、これらは戦争への疲れと嫌悪感の表れでしょう。この作品も愉しさに溢れていますが、バロックに民衆劇を併せる皮肉、素材に全く違う意味を与えたパロディ感覚など、どこか乾いた感情とニヒルな視線を感じます。それはストラヴィンスキーが戦争によって生涯を異邦人として過ごした故か、単にそういう性格だったのか。(ファゴット・A)

モーツァルト/交響曲第40番 ト短調 K.550
映画「アマデウス」の作中モーツァルトの遺体が共同墓地に放り捨てられる様を見て、幼い頃衝撃を受けたのを覚えています。葬儀を簡素にせざるを得ないほど貧困していたのでしょう。音楽に関する著作権の概念がほぼ皆無で印税収入がなかった当時、報酬のみに依存していた中彼は家計もかえりみず派手に浪費したのでした。こんな人が親だと苦労するんだろうなー。ファンの方からカミソリを送られてしまいそうな文章ですが、決して貶しているわけではありません。これも彼への愛ゆえの…(以下略)。愛する彼の交響曲第40番、聴くのは心地よいのですが、演奏するのはハイリスクな粗ばかり目立つ難曲です。
第1楽章:ヴィオラの響きに誘われ第1主題がこの上なくロマンチックにヴァイオリンにより奏でられます。やがて木管楽器に受け継がれ強奏、太鼓とトランペットがいないせいか渋さこの上ない響きと相成っております。全体合奏の後全休止をおいてヴァイオリンの第2主題が提示されます。長調なのに妙に翳りを帯びていて何だか溜息が洩れてしまいそう。展開部末部で木管楽器による半音下降音階がヴァイオリンの第1主題に受け継がれヴィオラのあの冒頭の響きを導き出す様には、個人的にゾクゾクさせられております。
第2楽章:冒頭の低音楽器から積み木のように重ねられてゆく同音反復のリズム楽句、調性と妙にかみ合わない「タラッタラッ」のリズム楽句により構成された楽章です。無機質な譜面を優美な歌にするのは奏者にとって腕の見せ所。時々聞こえてくる不協和音(たぶん奏者のミスじゃない!)も印象的です。
第3楽章:上昇音階と下降音階、各声部がそれぞれ対比的に扱われておりメヌエットというよりは教会音楽の色合いが強い非常に荘厳な主部です。逆に中間部は弦楽器と木管楽器が交互に呼びかけあい安らぎに満ちています。
第4楽章:3楽章主部の楽句を引き継ぎ曲は始まるのですが、すぐに荒々しい強奏になります。第1主題は1フレーズ内で強弱奏が交互に現れます(ベートーヴェンを彷彿?)。第2主題は長調なのですが第1楽章同様愁いを帯びております。展開部は臨時記号の嵐(ブルックナーを彷彿?)でございます。間違えるとどうしようもなく目立ってしまい穴があったら入りたくなります。全曲を通してヴァイオリン奏者泣かせな曲であることは疑いようもないでしょう。(ホルン・M)

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